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 14.自分自身が含まれることによって生じる不気味の谷

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 でも、これはとてもしんどいことです。人間の<境界知>はそのしんどさを受け容れることができるのか、もう少し後で話しましょう。違和感の現場に戻って、<境界知>のおもしろさと危うさを考えてみます。
 ここにいらっしゃる皆さんは、1970年にロボット工学者の森政弘さんが提唱した「不気味の谷」という仮説をご存じでしょう。ロボットがどんどん人間に近づいてくると、あるところで親和度というか、親しみやすさが急激に減って、不気味の谷に転ずるという仮説です。しかも、これは動いてない物よりも動いている物の方が気味悪く見える。CGの世界でもよく引き合いに出される仮説です。でも、本当に不気味の谷があるのかどうか、実はよくわからない。これは、実はぼくらが違和感にとらわれている一例じゃないでしょうか。境界を見出すぼくたちの心の働きが、幻想を生み出しているということです。
 まず、これはひょっとしたら、グラフのウソなのかもしれない。女の人と男の人の平均身長を棒グラフ(図2左)で表すと、こんな風になるんですが、これをわざと線グラフ(図2右)で描いてみるとどうなるか。男と女は違うものなのに、女から男にシームレスに続いているように見えてしまいますよね。女性度20パーセント、男性度80パーセントの人の身長はこれくらい、と読めてしまう。不気味の谷のグラフは、これと同じ過ちを犯しているのかもしれません。ロボットと人間は本来別のものであるはずなのに、それがあたかもシームレスにつながっているかのように思ってしまうから、こういう図を描いてしまうんじゃないかという説があります。
 もう一つがプロトタイプカテゴリーと言われているやつで、砂山のパラドックスとも言われています。AとBは全然違うものだと認識できるのに、中間はうまく認識できないという、そういうぼくたちの脳の働きがあります。砂山があるとしますね。そこから一つまみずつ砂を取って、こっちに置いていきます。ずっとやればいつかここの砂山はなくなって、こっちが砂山になりますね。でも、いつから山じゃなくなるか、というのはわからない。n回目だったとすると、(n−1)回目は山だったのか?
 コップからお皿へモーフィングするとします。モーフィングというのは形を少しずつCGで変えていく技術です。コップと皿をレストランで見間違うことはないんですが、でもコップをだんだん変形してゆくと、どこまでがコップで、どこからがお皿なのかわからない。そういうのがプロトタイプカテゴリーのパラドックスと言います。
 ここからが重要なんですけれども、ぼくらはコップとお皿の間は不気味じゃないですよね。では、なぜロボットと人の間になると不気味なのか。ロボットと人の間をモーフィングしても意味がないです。不気味の谷が言っているのは、そういうことじゃない。じゃあ、なぜ皿とコップの間は不気味じゃないのに、ロボットと人間の間は不気味なのか。それはおそらく、片方のカテゴリーに自分自身が入っているからなんです。不気味の谷のx軸、左側がロボットで、右側が人間ですね。これはいろいろな応用が利きまして、左を胚、右を胎児としてみたらどうでしょう。どこで堕胎できますかという話ですね。それから、脳死と生存、どこからが死体なのか、これも不気味だと思います。自分じゃないものと自分の間にある違和感、居心地の悪さ、これが不気味の谷の正体なのでしょう。

図2

図2 スライドより


スライド

スライドより


ロボットと人

紹介文献
[13]監督:アンドレイ・タルコフスキー、惑星ソラリス(1972)
[14]スタニスワフ・レム:ソラリス、国書刊行会(2004)
[15]スタニスワフ・レム:天の声・枯草熱、国書刊行会(2005)

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