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派遣研究者REPORT

いまだ有効な治療法のない遺伝性難聴。
薬剤が効くメカニズムの探究を通じて、
機能回復への道を拓く。

オーボアカデミー大学(フィンランド トゥルク)
2011年7月15日~2011年9月15日(63日間)

異なる領域をつなぐ、結ぶ。
理系-文系、日本-海外を架橋するような研究者に。

「今回のようにある程度まとまった期間を海外で過ごすのは初めてでしたが、とても貴重な体験を積むことができました。惜しむらくは夏休み期間中の渡航となってしまったこと。研究所には学生さんや教員・研究員の姿がほとんどなく、到着後の初めの1ヶ月間は、本格的な実験に着手することができませんでした。実験器具の所在ひとつとってみても、まったくわからない状態ですから、現地の人たちの手助けが必要です。そして実際に取り組んでみてですが、実験の補助をしてくれるテクニシャン(技術補佐員)がしっかりと人員配置されており、研究者の負担が少なくなるような配慮がなされていると感じました。この手厚いサポート体制については、他の海外派遣経験者も異口同音に指摘されておられるようですが、一からすべてを担わなくてはならない日本の大学のシステムにも良い面があり、一長一短といったところかもしれませんね」。多くの刺激と収穫を手にした海外派遣。帰国後、ご自身の経験を熱心に話していたところ、研究留学への意欲を見せる学生さんが増えてきたといいます。「そもそも和田研究室ではグローバルに活躍できる人材の育成を視野に置いてきました。若者全般の内向き志向が取り沙汰される昨今ですが、どんどん飛び出して欲しいと願っています」。

「地球は小さくなっています。もちろん物理的な意味ではなく、グローバリゼーションの進展によって、国や地域のボーダーを越え、社会的・経済的、そして文化的な結びつきが強まっています。国際的な連関性の拡大については多様な意見があるとは思いますが、この趨勢がとどまることはないでしょう。冒頭(前ページ)でコミュニケーションについて少し触れましたが、かかわりを持つ相手が異なる文化背景を持つ人物であれば、違いを認め、受容する姿勢を前提としなければならないでしょう。もちろん、自分という人間を知ってもらうには自身を理解し、日本を知ってもらうためには自国をよく知らなければなりません。オープンマインドであることも大いに心がけたいことですね」。フィンランドに渡ったのは、東日本大震災(2012年3月11日)の4ヶ月後。トゥルクで出会った人びとは小山先生が日本人だと知ると、お見舞いと哀悼の言葉、そして日本は大好きだ、日本人を尊敬していると口々にしたそうです。「日本が好きだと言ってくれたのには正直驚きました。これは我が国の先達が、営々と築いてきた評価なんですね。それをしっかり守っていかなければと思いました」。海の向こうから見た自国の姿は、胸を張ることのできるものでした。

「実は、高校生までは哲学や宗教学などに興味がありました。どちらかと言えば文系だったんですよ」という小山先生。「今でこそ文理融合分野の研究が盛んになってきていますが、私が高校生の頃は――あるいは若い感受性に特有な言動なのかもしれませんが――文系VS理系、といった二項対立的な物言いがよくなされていました。でも自分としては視野狭窄に陥りたくない、対岸からの批判はしたくないと思い、理系に進みました。それからは実験の面白さに導かれる形で、好奇心と探究心を発揮してきたように思います」。できれば理系と文系を架橋できる存在になりたいと語る小山先生。さらには、今回の派遣で築かれた人的ネットワークを基軸に「日本と海外をつなぎ、結ぶ」という役割も担ってくれることでしょう。

(写真/図3)ラボの様子。左は、実験を手伝ってくれたPhD student (博士課程学生)のKimmo Isoniemi 君。「実験室は、機材・器具、使い方ともに大同小異といった印象でしたが、慣れるまでには時間を要しました。もう少し工夫すればさらに使いやすく機能的になるはず、と感じた点は、積極的に提案してきました。ささやかな研究交流ですね」。

(写真/図4)渡航期間中、訪問先研究室主催のシンポジウムThe 21st Annual BioCity Symposium “CELL DANCE” Cellular movements, choreography and partner recognition が開催され、小山先生も聴講。「国際学会とは少し異なる、欧米のみで行われる小規模のシンポジウムに参加したのは初めてでした。私の専門分野ではありませんでしたが、ポスター発表では、各国の若い研究者たちと議論を交わすことができ、得難い経験となりました」。