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派遣研究者REPORT

“治らないけれど増殖する”軟骨組織。
組織発達における力学応答機構の解明を通じ、
軟骨再生の新しい設計手法にアプローチ。

サウザンプトン大学及びサウザンプトン総合病院(イギリス サウザンプトン)
2012年1月15日~2012年5月26日(133日間)

軟骨再生に向けた未知の分野に挑戦!
医学系研究室との共同&コラボレーションで英知を結集。

日本国内だけでも約1000万人と推定される変形性膝関節症の患者数(厚生労働省調べ)。潜在的な患者数に至っては約3000万人との数字もあります。この疾患は膝関節のクッションの役目を果たす軟骨や半月板が、加齢や肥満、怪我などによってすり減ったり損傷したりし、文字通り変形することで起こるもので、しばしば歩行が困難になるほどの痛みを伴います。歳だから仕方がないと我慢しているケースも多く、QOL(クオリティ・オブ・ライフ= 生活の質)を著しく低下させる原因となっています。軟骨は一度損傷を受けてしまうと自然には治らない組織です。私たちの体には自然治癒力が備わっていますが、それは傷を治すために必要な細胞や栄養(血液中に含まれる)を運ぶ血管があるから。実は、軟骨組織には血管がありません。適切な処置を施しても元に戻ることはないのですが、軟骨組織には増殖する能力があり、近年は“再生”に向けた研究が盛んに行われています。

機械工学を基盤とし、生体力学の応用研究を展開している小俣さん。今回の海外派遣プログラムでは「軟骨組織開発における骨髄間質細胞の軟骨細胞への分化誘導」という新しい分野にチャレンジすることになりました。ここで小俣さんが取り組んでいる内容について簡単にご説明いただきましょう。「現在、私は再生軟骨組織中の細胞外基質産生と力学的特性との関係について幾つかの提案を行っています。皆さんはコラーゲンという言葉を聞いたことがあると思います。これは真皮、靱帯、腱、骨、軟骨などを構成するタンパク質のひとつであり、ヒトの体の中にある全タンパク質のほぼ30%を構成している成分です。私はこれまでの研究で、特に軟骨組織にのみ含有されるII型コラーゲンの3次元的構造が、軟骨組織の力学的特性に重要な役割を果たしていることを解明しました。今後はこのII型コラーゲンネットワークに加えて、ヒアルロン酸※1などの細胞外基質※2の3次元な組織発達と力学的特性の関係を明らかにし、再生軟骨組織開発の新たな手法を考案することを目指しています」。

チャレンジングなテーマを掲げて向かったのは、サウザンプトン大学・健康科学部のD.L. ベーダー教授の研究室。同教授は、小俣さんが所属する佐藤研究室と共同研究を行っています。「ベーダー教授は、軟骨細胞や軟骨組織モデルへ力学的刺激を与えることによる軟骨細胞力学応答に着目し、マイクロピペットを用いた軟骨細胞の局所的な変形や軟骨組織モデルへの圧縮変形などを与えられる装置を独自に開発されています。多くの研究業績を生み出しているこの装置は、ベーダー教授の研究室にしかありません。また細胞に対する力学応答機構の解明という同じ目的を共有する医学系と機械系2つのグループが、相互に補完し合いながら研究を実施するには最適な環境と思われました」。研究計画を提出したところ、ベーダー教授からは受け入れ許可が示されましたが、再生軟骨の研究を行う上で、より研究環境が整っている同大・医学部のオレッフォ教授の研究室を紹介され、両教授との共同研究という形でイギリスでの研究生活が始まりました。大きな成果を得た4か月強の海外派遣。しかし新しいテーマに向けた道のりは平坦なものではなく、やむなく派遣期間を延長することに。研究に着手した時点では予想だにしていませんでした、と小俣さんは述懐します。

※1
グリコサミノグリカン(ムコ多糖)の一種。生体内では、関節、硝子体、皮膚、脳など広く生体内の細胞外基質に見られる。とりわけ関節軟骨では、軟骨の機能維持に極めて重要な役割をしている。
※2
細胞外マトリックスとも。多細胞生物(動物、植物)の外側にある安定な物質で、細胞自体が合成分泌している。細胞外の空間を充填する物質であると同時に骨格的役割(例:動物の軟骨や骨)、細胞接着における足場の役割、細胞増殖因子などの保持・提供する役割を担っている。 細胞外マトリックスを操作することで組織や細胞を制御し、再生医療などに利用する応用技術が盛んに研究され、すでに一部の医療の現場で取り入れられている。

(写真/図1)サウザンプトン大学は、ハートリー専門学校として1862年設立、1952年に王室勅許 (Royal Charter) を受けて独立した大学(国立大学)となった。学部生・大学院生を合わせて約22,000人を擁する研究主導型大学。イギリスの⼤⼿新聞社の調査で、全英⼤学トップ20以内にランキングされているが、特に電気工学、機械工学、コンピュータサイエンスなど工学分野においてケンブリッジやオックスフォードなどに次ぐ高い評価を得ている。写真はオレッフォ研究室が入っている研究棟

(写真/図2)かつて造船(ちなみに映画でも知られるタイタニック号は1912年4月10日、サウザンプトン港からニューヨークへと向けて出航した)や航空機といった製造業で活況を呈したサウザンプトンであるが、現在最も雇用をもたらしているのはサウザンプトン大学病院NHSトラストである。当地を含むハンプシャー南西部の地域住民50万人に医療を提供している。写真は、サウザンプトン大学病院のエントランス。