ものづくりのフロンティアをゆく!

自律探査ロボットとフィールド実験

海外研修
ARLISSカムバック・コンペティション
2008年9月15日〜9月19日

さぁ、深宇宙へ。
わが国の宇宙開発ミッションと結びつく
ロボットの研究開発に取り組む。


写真1 吉田和哉教授

写真1 吉田和哉教授

“ペンシル”から半世紀。
長足の進展を遂げた宇宙開発。

 秋田県由利本荘市、道川海岸。今はのどかな砂浜が広がるこの海岸は、かつては宇宙にいちばん近い場所でした。ここに建設された「秋田ロケット実験場」が、日本の宇宙開発の舞台として躍り出るのは、1955年8月6日。この日、東京大学生産技術研究所の糸川英夫博士を中心とするAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics)研究班によって開発された国産第一号の「ペンシルロケット」の斜め発射実験が行われました※1。ロケットは、ペンシルの名の通り長さ23センチ、直径1.8センチという、“かわいらしい”とも形容できるミニサイズ。にもかかわらず、到達高度600メートル、水平距離700メートル、16.8秒という飛翔時間を記録しました。これを機に、わが国の研究開発に拍車がかかり、ベビー型、続いてカッパ型※2と、次々に新しいロケットが登場します。しかし、宇宙をめざし改良の続けられたカッパロケットは、1960年には高度200キロメートルまで達するようになり、飛翔後の機体が日本海を越えて大陸に落下する恐れが出てきました。宇宙開発の拠点が種子島に移される1962年までに、この海岸で打ち上げられたロケットは88機。得られた貴重な観測データは、その後のめざましい宇宙開発を支えてきました。
私たち人類は、宇宙の謎に近づくことで、科学の知識を深め、拡げてきました。宇宙には「もっと知りたい」「行ってみたい」という知的好奇心と探究心を刺激してやまない魅力にあふれています。しかし、その環境は苛烈をきわめ、いまだ解明されていないことも多々あります。危険で人的リスクを伴う宇宙開発は、ロボット工学の技術なくして成立しません。深宇宙の探査や宇宙空間における船外活動は、ロボットの独壇場ともいえます。


※1
ペンシルロケットは、1955年4月12日、東京都国分寺の廃工場跡地で水平発射公開実験に成功。その後、千葉の生産技術研究所の実験場に場所を移して水平発射実験を継続したのち、道川海岸での飛翔実験に臨んだ。
※2
カッパは、ギリシャ文字のΚ。日本のロケット開発において、初めての本格的な地球観測用ロケット。1988年まで運用された。

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